Plusone647
30/36

人としての尊厳を    大切にした創立者の言葉ある海外選手が仕事を持って自活ソニー・太陽は、「日本の障がい者スポーツの父」と呼ばれる中村裕博士と、ソニーのファウンダーの一人である井深大氏の出会いによって誕生しました。中村博士は1964年に開かれた東京パラリンピックで、障がいのしている姿を目の当たりにし、家や病院で過ごすことが当たり前だった日本の障がい者も自立しなければいけないとの思いを抱きます。そして、障がいのある人が働き、生活し、地域社会の一住民として普通に暮らす「太陽の家」を1965年、大分県別府市に開所しました。井深氏は「太陽の家」で障がい者がいきいきと働く姿に感銘を受け、1978年にソニー・太陽の前身となる株式会社サンインダストリーを設立します。設立時に、中村博士は 「世に身心障がい者はあっても仕事に障害はありえない。保護より働く機会を」という言葉を、 また、井深氏は「障がい者だからという特権なしの厳しさで、健※丈者の仕事よりも優れたものをという信念をもって」というメッセージを残しました。特に井深氏の言葉には「ソニー・太陽はあくまでもソニーの一事業所であり福祉の一環ではないという考えがあります。厳しい言葉ではありますが、逆に人としての尊厳を与えていただいたと思っています」と自身も肢体障がいのある人事総務ではこの2人の言葉を「企業理念」のものづくりとサービスを提供す※障がいがなく「丈夫」な人はいるが、「常に」健康な人はいないという井深氏の考え方を踏まえて表記したもの。西島史隆社長(中央)、佐藤祐親氏(左)、安倍正大氏(右)編集長が注目する、挑戦の最前線2人の創立者が残した言葉べと部くし統日て括々脈部努々長力とのし受佐てけい藤継ま祐ゆぎうすん親し、。最氏高。同品質社30ソニー・太陽で働く社員のうち6割を障ソニー・太陽で働く社員のうち6割を障がい者が占めています。驚かされるのは、がい者が占めています。驚かされるのは、そこで作られているものが、簡単な手作そこで作られているものが、簡単な手作業でできる部品ではなく、ソニーのマイ業でできる部品ではなく、ソニーのマイクロホンの中でもハイエンド製品でかつクロホンの中でもハイエンド製品でかつ完成品を製造していることです。1978完成品を製造していることです。1978年の創業以来、障がいを補完するさまざ年の創業以来、障がいを補完するさまざまな工夫や技術により、障がいのあるなまな工夫や技術により、障がいのあるなしにかかわらず、働き甲斐のある職場環しにかかわらず、働き甲斐のある職場環境を作り出してきたソニー・太陽。障が境を作り出してきたソニー・太陽。障がい者がプライドとやりがいを持って働くい者がプライドとやりがいを持って働く機会を創造する取り組みにフォーカスし機会を創造する取り組みにフォーカスしました。ました。Editor's Pickソニー・太陽株式会社全員が主役、全員が主役、社員の半数以上が障がい者である社員の半数以上が障がい者であるソニー・太陽の、働き甲斐とソニー・太陽の、働き甲斐と自律への挑戦自律への挑戦

元のページ  ../index.html#30

このブックを見る