Plusone646
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―サイボウズの創業経緯についてお聞かせください。―とんとん拍子だったのですね。―青野社長ご自身はどんな気持ちで制度、仕組みを整えていったのですか。―世の中が「働き方改革」という前から、だいぶ取り組みが進んでいたのですね。離職率28%、急成長後に直面したピンチ給料も自分で決めることができる元々コンピュータに触れることが好きで、中学、高校時代は自分でプログラミングしたソフトを雑誌に投稿するような少年でした。1994年に松下電工(現パナソニック)に入社し、社内の電話やファクスでのやりとりをWeb上に置き替えることができたら便利になるのではと考えるようになりました。調べてみるとそのようなビジネスをやっている会社がないことがわかり、「これは儲かるぞ」といてもたってもいられなくなり、会社の先輩を誘って3人で1997年8月、サイボウズを起業しました。開発したグループウェアをインターネット経由で販売する事業を始め、会社設立4か月目には黒字化し、3年で当時の東証マザースに上場しました。ところが上場して5年経った頃、売上、利益が減り、ビジネスが少し行き詰まるようになってきました。さらに上場後に一気に採用を増やしたこともあり、マネジメントが追い付かずどんどん人が辞めていきました。2005年に私が先輩から社長を引き継いだ頃が一番ひどい時期で、離職率は28%に達し、社内の雰囲気は殺伐としていました。辞めていく社員と話をして気づいたのは、「労働時間が長い」「上司とウマが合わない」「両親のいる故郷に戻りたい」など退職理由は人それぞれだということでした。あらかじめ理由がわかれば対処のしようがあると思い、「辞める前に相談してほしい」と呼びかけました。はじめは社員も半信半疑だったようですが、社員の声を聞いて課題を拾い上げ、解決することを地道に続けることで、5年ほどかけて信頼関係を築いていきました。わかりやすいところでは時間の選択肢を増やし、「定時で帰ります」「水曜日は休みます」「短時間勤務をします」といった要望をかなえていきました。もう一つは場所の選択肢です。はじめは週1回の在宅勤務ができる制度を設けたのですが、一律の回数制限をやめ、完全在宅勤務も可能にしました。そのようにして現在の、社員の働き方に関する希望と業務内容・給与などをマッチングさせる、「100人100通りのマッチング」の形になりました。自分の仕事に対する考えとのギャップがあり常に葛藤はあります。入社1年目の社員に「副業をしたい」と言われた時には、「自分の仕事が一人前にできるようになってから言ってくれ」と“昭和人”としては思いましたが、ぐっとのみ込みました(笑)。若い世代の考え方も尊重しなければいけませんし、もしかしたら未来はそちらの方が正解になるかもしれません。ダメとは言わずに一度は受け入れてみて、うまくいかなければ改善しています。今でもずっと自分の中でモヤモヤは続いています(笑)。最近でもグループウェアに登録するプロフィールに自分の顔写真を載せたくないという社員がいて、「同じ会社の社員どうしなのに」と思いましたが、結局その意見を尊重しました。心理的安全性に対する考え方も人それぞれなので仕方ないかな、と。「働き方改革」には、残業時間を減らして効率を上げていかなければならないという背景がありましたが、僕たちがやってきたことはそれとは少し違います。がつがつ働きたい人はそれでいいし、短時間勤務を希望する人や在宅勤務をしたい人には、それぞれの思いに合わせるようにしてきました。給料や働き方、キャリアについても社員が希望を出せるようにしています。給与評価はチームへの貢献5

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