Plusone632
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差別や苦難を乗り越え、「だれもやらないこと」に挑み続けるイランから来日、腰掛けのつもりが30年超息子のために中古車販売業を立ち上げ「郷に入ったら郷に従え。日本で生きていくためには、日本人のやり方に染まらないと箸にも棒にもかからないから」。日本に来てかなりの年数が経つとはいえ、外国人とは思えない日本語の語彙の豊富さにまず驚かされる。バヤツ・レザーさんが、イランから来日したのは1991年時のこと。「カナダにいる知り合いのところへ行くつもりでしたが、その前に当時、経済が元気だった日本にも寄ってみたかった」。ほんの腰掛けのつもりだったが、「丁寧で几帳面な国民性が自分のA型の性格に合ったんです」と笑う。日本で最初に就いた仕事は土木業だった。「何より言葉が大事」と、日本語をほぼ1年でものにした。外国人ゆえの嫌がらせにも苦しめられたが、ぐっと呑のみ込んだ。「外国人は日本人の何十倍も努力しないと信用は得られない」と、相手を思いやることを大切にし、得意のジョークで仲間を増やした。結婚、2人の子供が生まれ、より稼ぎを上げていくために自分で事業を立ち上げることを決断した。その時、ある人に勧められたのが、廃金属や廃棄家電を集めてスクラップ、22歳のにし、リサイクル業者に転売する仕事だった。「そんな仕事が儲もうかるんだろうか」といぶかるバヤツさんに、その人はポンと1000万円の札束を預けた。「僕のことを信用し、事業の才能を見込んでくれている証。それなら頑張ってみようと思えた」。廃棄家電を集めるため昼夜を問わず飛び回った年目で従業員は18人にまで増えていた。だが、2013年に災難に見舞われる。廃棄家電などを積み上げていたヤードから火事が出て、600トン、2000万円分を全。2ジョークも交えながら、流暢な日本語を話すバヤツさん28し株式会社R.B.C代表取締役社長 バヤツ レザーさん東京埼玉

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