Plusone631
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元谷元谷均等かつスピーディに従業員に熱を伝える組織を目指す数字の作り方を根気強く教える橘  橘    6   (債権回収)の会社を先輩と立ち上げるバブル崩壊後の銀行はまさに冬の時代で、業務外での利益を稼ぐ必要があり、配属された不動産チームでは、営業時間外に閉めていたお客様用駐車場の運営をパーキング専門会社に委託するなど、資産を無駄なく活用する方法を学び、その次の部署ではサービサー経験をして会社の作り方も学びました。銀行を5年間勤めた後、お父様の会社に入られました。その後はお父様のもとでどのような役割を担ってこられたのでしょうか。興味がありますが、その後のことは部下に任せていました。お客様は新しいホテルばかりを使ってくださるわけではありません。だから、つねに既存のホテルも改装し、最新の設備でお客様を迎え、支持していただくための「整地作業」が必要であり、私はその役割を担ってきました。また、私が入社した当時は会社の規模が小さかったため、第一志望で応募してくる経験者がなく、多店舗展開をしていくためには、自前で人材を育てていく必父は新しい事業をやることには要がありました。そこで当時ホテルを展開していた石川、富山、福井の各エリアでブロック会議を毎月開催し、予算の進捗とともに家賃支払い前利益を最大化することの大切さを説きました。受け身の社員を自発的に考える社員へ変えていくためには、自分自身が熱い石にならなければならないと思い、数字の作り方を根気強く教えるとともに、答えを教えるのではなく、つねに自分で考える習慣づけをし、次の支配人となる人材を育てていきました。当時、大卒一期生の人たちが入社した頃ですが、こうしたプロパー社員たちが今では役員になるまでに育ってくれています。社長に就任され、お父様からどのようなことを継承し、何を変えていこうとされているのでしょうか。込んでいましたので、今年の3月15日に社長拝命の内示を受けた時は、こんなにきれいにバトンを渡してくれるのかとびっくりしましたが(笑)、その分、助走をつけスタートダッシュすることができました。父は生涯現役で走り続けると思い創業経営者が創業来51年連続黒字を出し続けた企業は、当社以外に聞いたことがありません。そのような会社を継ぐ責務は非常に重いと感じています。創業者は料理で言えば、材料を自分で吟味しながら選び、調理をして、ふるまうところまでやってきたわけですが、二代目の役割は、創業者がすでに冷蔵庫に用意してくれた材料を改めてチェックして、そこから何を生み出せるか考えていくのが仕事ではないかと思いました。また、父はずっとトップダウンで会社を経営してきたわけですが、私はそこから下りて、三角形の重心に位置し、そこから全方向に旋回し、均等かつスピーディに従業員に熱を伝える組織を目指そうと考えました。そこでビジネスチャットツールのSlackを副支配人以上に導入しました。伝えるべき階層ごとにチャネルを作って、従業員と直接コミュニケーションが取れるようにしています。また、各部署の次席者30人以上が集まる「シナジーを考える各部連絡会議」では毎日輪番制で議題を出し、議論を行っています。100人いれば100通りの意見があるので、多様な考えを汲み取り、最適解を見つけ出そうとしています。「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」という言葉がありますが、1971年生まれ、石川県出身。95年学習院大学経済学部卒業。住友銀行で5年間勤務した後、99年11月にアパホテル常務取締役として入社。2004年に専務取締役に就任後、最高財務責任者(CFO)、グローバル事業本部長などを歴任し、22年4月アパグループ社長兼最高経営責任者(CEO)に就任。元谷 一志 (もとや いっし)アパグループ社長兼最高経営責任者(CEO)

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