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 橘 橘    5石田石田他人に委ねるのではなく、自分の振る舞いに責任を持つ俳優を目指されたきっかけを教えてください。ぼくは早稲田大学商学部でマーケティングを学びました。マーケティングはつまるところ、消費者や視聴者に勇気や喜びや指針を与えるもので、ぼくはそのような仕事に就ければと思い、テレビ局や映画会社、CM制作会社を目指しました。ところが、当時はひどい不況で、どこも採用の募集さえしていなかったんです。そこで演出家になることを目指し、演劇を学ぶためにアメリカに渡りましたが、向こうでも道は閉ざされていて、帰国して演劇集団円に属し、演劇を始めました。それが今につながっていくわけです。いつも思うのは、ターニングポイントは悪い形でやってくることが多いということ。天井ができて、あっちにもこっちにも壁があって、ここしかないと進んだ先に道が開けるものだと思っています。その後のトレンディドラマでのご活躍には目を見張るものがありました。そこからすぐに俳優として成功されたのですか。芽が出ませんでした。事務所の社長から「今年ダメだったら、マネージャー職に変わって、いずれ事務所の経営を継いでほしい」と言われて、最後のチャンスとして与えられたのが、いわゆるW浅野︵浅野温子、浅野ゆう子︶が主演したドラマ「抱きしめたい!」でした。んだのは「Do」ではなく「Be」、演じるのではなく、いかにその境遇を想像して感じるか、でした。だからその後日本でぼくは、監督の求めるいかにも演技という演出を拒んで、違うことをするのでよく怒られました。でも、監督に言われたとしても、結局見るのは視聴者で、視聴者がどう判断するかが結果なんです。だからぼくも曲げたくなかった。自分の振る舞いに責任を持ちたかったんです。全くそんなことはなくて、9年間ぼくがアメリカ演劇アカデミーで学ティグレグループ代表スペシャ橘 悦二SPECIAL

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