Plusone629
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橘    橘 6木村 「これがあったら喜ばれるんじゃないか」木村 「こんなものがあったらいいな」そのように次々とアイデアが湧いてくる秘訣は何でしょうか。と、つねに考えることです。たとえば、現在約120の国と取引をしていますが、人と話をする際は直接会って、食事をして、お酒を酌み交わすようにしています。最初から「この人はこういう人だ」と決めつけてはいけません。国王でも大統領でも一般市民の方でも同じように付き合います。人と人とが会い、腹を割り、人間味ある話をすることで相手のことを知ることができます。そうした生の情報にもたくさんのヒントが隠されており、そこから「どうしたら喜ばれるか、人の役に立つか」を考え、新しいアイデアを練っていくのです。私は若い人によく聞きます。「何のために生きるのか。何のために仕事をするのか」と。そんな時、「食べるため、生きるため」などと言われるとがっかりしてしまいます。それは単に自分のために働いているだけでしょう?それでは自分だけ満足して、「これでいいや」で終わってしまうもの。人は何のために働くかといえば、「世のため、人のため」でなくてはいけません。目標を達成するのも「世のため、人のため」。すると、次々とやりたいことが増えていき、第二、第三の新しい目標が出てくるのです。2001年には日本初の年中無休24時間営業の寿司店﹃すしざんまい﹄を築地場外にオープンされました。寿司店で24時間営業を考えたきっかけは何でしたか。人のにぎわいは消えていました。築地に人を集めてほしいと頼まれたこともあり、築地といえば魚、魚を多く扱うのは寿司、だから寿司屋だと思いました。そこで、たくさんの方に築地に来てもらうため、「これまでにない寿司屋で勝負しよう!」と決め、営業時間は"24時間営業"としました。航空自衛隊での経験があったので24時間でも問題なくできると。空の守りは24時間ですから。従業員の勤務時間は1日8時間の三交代制で週休2日になるようにシフトをきっちり組むことで、当時の築地は衰退しつつあり、労働条件を遵守した24時間営業ができたのです。また、それまで長く水産業界に身を置いていたこともあり、経験や人脈を活かし、世界中から最高級のマグロや魚介類を仕入れる独自のシステムやルートを開発していました。これにより、お客様がいつご来店されても新鮮でおいしいお寿司を食べることができます。食べたいときにネタ切れになっていた、なんてことがなくなります。1952年、千葉県生まれ。68年中学卒業後、15歳で航空自衛隊に入隊。18歳で大検に合格し、航空操縦学生になる資格を得るも、訓練中の事故で目を負傷しパイロットの夢を断念。72年中央大学法学部に入学。74年自衛隊を退官。同年、在学中に大洋漁業(現・マルハニチロホールディングス)の子会社である新洋商事に勤務。食材や食品などの開発・販売を手掛ける。79年喜代村の前身にあたる木村商店を創業。85年(株)喜代村設立。2001年4月築地場外市場に日本初の年中無休24時間営業の寿司店『すしざんまい本店』を開店。木村 清 (きむら・きよし)株式会社喜代村 代表取締役社長

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