Plusone629
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個人発明家VS巨大企業アップルの特許裁判を弁護正直言って司法試験をなめていましたね。野村総研の仕事は激務だったので、なかなか勉強の時間が作れず、模擬試験を受けても全然だめ。このままでは受からないと思い、試験対策に集中しようと会社を辞め、2年間勉強しました。その結果、在職中も含めて3回目の試験で合格。2000年に弁護士として登録することができました。業務として技術がからむ特許関連分野に特化するために、その専門職である弁理士の資格も取ったので、両分野がオーバーラップする領域を取り扱っています。発明家の齋藤憲彦氏がアップルを提訴した特許訴訟で、原告を弁護するようになったきっかけは何でしたか?齋藤さんは優れた発明家で、「クリックホイール※」という技術を発明して1998年に特許を出願。それをご自身でアップルにも売り込んでいましたが、条件面で折り合いませんでした。ところが、アップルが2004年に発売した音楽プレーヤー「iPodmini」に、そのクリッ※クリックホイールリング状のタッチセンサーとクリックボタンを組み合わせたユーザーインターフェイス。表面を指でなぞりボタンを押すだけで、楽曲選択や音量調節が簡単にできる。クホイールが搭載されていることがわかり、齋藤さんはアップルに抗議したのですが特許は無効との回答。一人ではこれ以上太刀打ちできないので、何人かの弁護士にコンタクトしましたが、着手金を準備できず引き受けてもらえませんでした。を見つけて連絡してきたのです。その特許内容を調べてみると、確かにiPodと同じアイデアのものがあり、それをアップルより早く着想していた凄さに感心しました。iPodは世界中でブームを巻き起こしていたし、相手はアップルなので、もし勝てたら社会的インパクトも相当に大きいと考え、着手金なしでもやってみる価値はあると思いました。巨象にアリが挑むような裁判が始まったわけですが、勝訴までどのような苦労がありましたか?に特許を侵害していると認めてもらうハードルは非常に高い。特許庁の審査段階でそこで、特許弁護士としての私の名前訴えを起こしても、相手の製品が確か世界中の特許文献を調べられるわけではないので、齋藤さんの技術は以前から世の中にあったという文献をアップルが出してきたら特許は無効となります。実際、一審の途中で、裁判所は齋藤さんのアイデアは誰でも思いつく発明だから無効と言ってきた時は辛かったですね。そこで、裁判所の判断が間違っていることを明確にできるよう、論点と闘い方を変える戦術に出ました。特許裁判は一般に短期間で解決するケースが多いのですが、アップルが徹底抗戦していろいろな争点を立ててくるので、裁判所もすべての論点を検討して間違いのない結論を出すために時間がかかり、地裁判決まで5年、知財高裁、最高裁で勝訴が確定するまで10年もかかりました。裁判に勝ったことは世界中でニュースになるほど意義深いことでしたが、賠償額の少なさに不満があったそうですね。本事件のアップルに対する損害賠償請求額は100億円だったのですが、判決で認められたのはわずか3億3千万円でした。iPodは世界の音楽市場に革命を起こした大ヒット商品。クリックホイールはその最も重要な技術なのにあまりにも少額です。もし欧米なら数百億円はいくでしょうね。頑張った人が報われ、発明者に夢をもたらすような判決を勝ち取りたいというのが、この訴訟の弁護を引き受けた大きな理由の一つだったのに、裏切られた思いでとても残念でした。それでも、特許に対する正当な評価が認められたことは、技術者にとって明るい光を投げかけましたね。この裁判がさまざまなメディアで報道されてから、「今まで諦めていたけど、自分の発明も正当に評価される可能性がある」「大手企業と交渉する勇気を与えられた」といった多くの反響をいただきました。個人や中小企業の技術力が正当に評価される可能性を広げた点では大きな意義があったと嬉しく思っています。33日比谷パーク法律事務所 弁護士・弁理士上山 浩1981年京都大学理学部卒業後、富士通㈱にて大型コンピュータ・ソフトウェアの開発に携わる。90年野村総合研究所に移り、情報戦略に関するビジネスコンサルタントに。98年司法試験合格、2000年弁護士・弁理士登録、03年日比谷パーク法律事務所パートナー。13年個人発明家・齋藤憲彦氏が発明した技術がアップル社のiPodに無断使用された特許侵害訴訟で、同氏を勝訴に導き脚光を浴びる。著書に「弁護士が教えるIT契約の教科書」(日経BP社刊)がある。

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