Plusone629
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グループで機動力を発揮そうするうちに親会社の山田運物心両面で満足できる会社にていた会社から総務部長として請われ、労務管理全般を担った。その傍らでいくつかの経営者のコンサルティングをする中に山田運送があった。山田運送は仕事を増やし、順調に事業を伸ばしていたが、ある時ドライバーの不祥事が発覚し、売り上げの大半を占めていた荷主からの仕事を失うことになった。安原氏は急きょ山田運送の子会社、ヤマヒロ運輸を引き継いで社長に就任し、側面から山田運送のサポートに当たることにした。頭を下げて様々な会社の運送の営業に回ったが、運送業界については全くの初心者だったためいいように利用されるばかりで、当初の数年間はほとんど利益が残ることはなかったという。ある時、ティグレ勤務時代のつてで、ある荷主の幹部に会うことができた。そして、小包の配送の仕事を任されることになる。任されたエリアは大阪・門真エリア。ティグレ時代に担当したこともあり隅々まで知り尽くしたエリアだった。細い路地まで熟知していた安原氏は自らドライバーとして奮闘し、成果を上げていく。事業がようやく前に走り出した。「自分が引き受けなければそこでは「1人の経営者が目を行き届か送の社長が退任することとなり、その社長も引き受けることにした。働く人も、家族も路頭に迷うことになる」そんな思いに突き動かされた。さらに、安原氏は他の運送会社でくすぶっているドライバーに声をかけて手を差し伸べ、新たな運送会社を作っては任せていった。1社で事業を広げず、連邦型で事業を広げるやり方について安原氏せられる範囲は30人程度。優秀な人に任せることで、それぞれ個性のある会社が連携する方が強い組織ができ、グループとして力を発揮できるのです」と考えを述べる。新たにAZヤマヒロ、YTRという会社を設立する際には500万円を本人が、500万円を安原氏が、そしてもう500万円を第3者に持たせるやり方で株主としてかかわり、資金調達から労務管理までをサポートした。そして山田運送、ヤマヒロ運輸、AZヤマヒロ、YTRの営業責任者が集まり情報共有を行うチームを組織した。この連携により新たに入ってきた仕事を長距離運送、近距離運送、軽トラック運送という得意分野を持つそれぞれの会社に振り分け、グループ力を活かし全体で機動力を発揮していった。山田運送の本社ビルには浴室のほか、男女別の仮眠室、そして子供を預かるスペースも用意されている。拠点を全国に展開することで安息所も増やしてきた。また、年1回全従業員に対しストレスチェックを行い、健康診断も年2回実施することで健康管理にも注力している。そこには安原氏が目指してきた「福利厚生の充実した働きやすい会社にして、物心両面で従業東大阪を中心に関西から全国までの物流を担うトラック協賛するSDDのイベントに出演したアーティストのサイングループ力を活かし、現場で活躍する従業員たち28

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