Plusone629
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創業者はアイデアマン3人姉弟の中から後継指名市場の声をふまえ商品開発万まんい代だ様にお取引いただいたことが飛中でも関西に地盤を置くスーパー躍のきっかけになった。「かおりちゃん」も万代の創業者加藤進氏と重田氏の出会いが深くかかわっている。「父は加藤様に気にかけていただき『多くのお茶屋さんがある中で抜きんでようと思うなら、他と違うことをせなあかん。キャラクターを持ったらどうや』とアドバイスを受けたそうです」。そして、「お茶=香り」のイメージからお茶を摘む女性の姿をした「かおりちゃん」が1977年に生まれた。同時に「かおりちゃん~♪」のジングルでテレビCM、ラジオCMを始め、今もラジオでCMは続いている。「父はアイデアマンで発想が豊かでした」と語る口脇氏。それは壁に貼られた無数の商標登録された言葉からも伝わってくる。1980年代に健康商品の一環として生ローヤルゼリーの通信販売を始め、その後緑茶の青汁もいち早く扱い始めた。その際に思いついたのが「40過ぎたら転ばぬ先の杖」という言葉。「健康に対して不安になる40歳を過ぎたら飲み始めることを勧めました」。また、大阪の人はいらち(気が短い)で、麦茶をやかんで沸かしてから「父はいつも会社の玄関に立って、冷やすのを面倒くさく思っていることから、ティーバッグを容器に入れ熱湯を少量注ぎそのあとに水を入れてすぐに冷やして飲んでもらう方法を考えた際には、大阪ならではの作り方として「大阪方式」という言葉を思い付き、発信した。健康へのこだわりはもちろんのこと、環境にも配慮している。例えば、主力商品のティーバッグに土に還る植物由来の素材を使ったのもそうした思いの表れだ。そして何より社員を大事にした。営業に出て行く社員に『気いつけて行きや』と声をかけ、社員の家族のことも常に気にかけていました。地方から出てきた社員には母が食事と洗濯の面倒も見ていました。また、祖母は90歳になるまで社員食堂のご飯を作り、毎日5品以上のおかずを作り、きつねうどんなどは出汁から作り油揚げも炊いていました。父が食事の材料には糸目をつけないでほしいと言っていたので、食材費の高さを税務署から指摘されるほどでした」。重田氏が2012年に後継者に指名したのは口脇氏だった。口脇氏は子どもを出産した後に宇治森徳に入社し、総務、経理を担当してきた。「言われたことを段取りよくやるのは得意だったのでナンバー2タイプ」と自己分析していただけに、後継指名は青天の霹へきき靂れだったという。「弟が2人いるのですが、『日々の買い物をするのは女性でその気持ちがわかる。これからは女性経営者が活躍する時代でもある』と父が言ってくれて、今なら父もそばにいてくれる、それならやってみようかなと思いました」と決断を振り返る。宇治森徳の強みについて口脇氏は「実際にお茶を飲まれるお客様の声を大事にし、販売した商品の売れ方を確認しながら商品の改良、開発に活かしてきたこと」だという。重田氏からも「君が会社におっても1円にもならん、しっかり外を回りなさい」と言われ、それを実践してきた。ただ、経営を引き継いでからは大手飲料メーカーが緑茶の販売にも進出し、厳しい競争を強いられてきた。お茶はペットボトルで飲むのが当たり前の世代が増え、茶葉の販売には逆風も吹いた。同社重田会長が受章した褒章とともに25宇治森徳のお茶ならではの、豊富なバリエーション

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