Plusone628
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つねに格闘技の新境地を切り拓いてきたはじめにプロレス界に入ったきっかけをお聞かせください。中学時代からプロレスラーに憧れてアマチュアレスリングを始め、高1の時山口県大会で優勝できました。そこで、若気の至りから新日本プロレス(新日)の入門テストを受けたら先輩レスラーにボコボコにやられて出直すことにしました。でも、その半年後に若手レスラーの多くが海外修行に出てしまい、雑用係がいなくなったということで、17歳で入門できました。憧れの新日に入門してどうでしたか?1年目からアントニオ猪木さんの付き人になり、猪木イズムとも言うべき「ストロングスタイル」の厳しい練習を毎日続けました。猪木さんは試合運びが下手な選手が初代タイガーマスク佐山サトル氏新日入門後、海外修行で人気レスラーとして活躍シーツで作った虎のマスクで日本デビューいると、「街へ行ってケンカしてこい!」と言うのです。本当に街でケンカするわけはないのですが、そんな風に「試合」ではなく「闘い」なんだということを徹底的に仕込まれました。後のタイガーマスクの決め技の多くはこの3年間で身につけたと言えます。ギリスへ渡り、ブルース・リーの従兄弟サミー・リーというリングネームで、空中殺法を繰り出して人気レスラーとなり、イギリスプロレス界のスターダムをのし上がっていきました。イギリスでそれほど人気があったのに、なぜ日本でタイガーマスクになることに?1981年当時、日本ではタイガーマスク     のテレビアニメが大人気で、そのタイアップ企画として本物のタイガーマスクをリングデビューさせるから帰って来いと言われまタイガーマスクとして41年1981年、人気アニメから飛び出してプロレスのリングに颯爽とデビューした初代タイガーマスク。見たこともない空中技を次々と繰り出し、たちまち観客とテレビの前のファンを虜にし、以後日本中にタイガーマスクブームを巻き起こした。83年にリングを降りた後、自分が理想とする総合格闘技の道場をつくり、若手の指導に全力を尽くす一方、恵まれない子どもたちの支援や犯罪撲滅運動への協力など社会貢献にも尽力している。タイガーマスクデビュー後41年、今の想いを聞いてみた。20歳でメキシコへ修行に行き、その後イ32

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