Plus One No.626
16/36

―きょうだい3人オリンピック選手というと、体操一家の印象が強いのですが、子どもの頃はどんなご家庭でしたか?両親とも元体操選手でした。父が体操    ンポリンや鉄棒があって、遊び感覚で体教室を運営していたので、家の中にトラを動かすことに夢中になっていた感じです。だから、兄が体操を習い始めて、その姿がとてもカッコよかったので、私も6歳から体操教室に通い始めました。それからは、学校が終わると母が校門で待っていて、きょうだいで毎日夜10時くらいまで練習する生活でした。―オリンピックを目指すようになったのはいつ頃からですか?小1の頃から市の大会や和歌山県の試合に出ていましたが、中1の時にシドニーオリンピックをテレビで観て、ロシア選手の体操演技に目を奪われました。美しく、華麗で、立っているだけでも絵になる。自分もこんな選手になってオリンピックに出場したいと思いました。そこで、自分が高校生になる2004年のアテネオリンピックを目指して練習するようになりました。―でも、アテネ五輪を前に無念のケガをしてしまったのですね。中3で全国大会にも出られるようになり、アテネオリンピックも射程距離に入ってきた頃に、左足首の遊離軟骨が欠けるケガをしてしまいました。それ以降、練習が思うようにできず、感覚も鈍ってきました。しかも、成長期だったので、体重がきた演技が全くできなくなって。基礎練習からやり直さなくてはならないし、ケガも治さなくてはならないし、そのイライラから反抗期になってしまい、中3の冬から高校3年間は体操を楽しくできなくなりました。―思い通りに体操ができない状況で、やめたいと思いませんでしたか?高3になって、体操を続けるのはもう無理だと思い、怒られるのを覚悟で「体操をやめたい」と母に初めて言いました。すると「いいよ、明日から行かなくて」とあっさり言われて。それからは友だちとカラオケに行ったり、プリクラを撮ったり、生まれて初めて1ヵ月くらい遊びまわりました。16元体操選手/スポーツキャスター 田中 理恵10㎏ 増え、身長が10㎝ 伸びて、それまでで新春インタビューはじけるような笑顔と、長い手足を活かした華麗な演技で世界を虜にしてきた田中理恵さん。23歳で出場したロッテルダム世界体操競技選手権大会で、最も美しい演技で観客を魅了した選手に贈られる「ロンジン・エレガンス賞」を日本人女子選手で初めて受賞。また、25歳の時、ロンドンオリンピックでは、きょうだい3人同時出場という日本体操史上初の快挙も成し遂げました。17歳がピークと言われた女子体操界で、遅咲きの大輪を咲かせるに至ったこれまでの想いを伺いました。スポーツと歩む人生遅咲きでも続けたから途中で諦めかけたオリンピック今がある

元のページ  ../index.html#16

このブックを見る