Plus One No.626
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―どのようなことから取り組んでいったのでしょうか。共同体を築くには密な人間関係がなければなりません。そこで、仕事以外のコミュニケーションの場として、月例チェアマン夕食会(すでに145回実施)や慰安旅行を始めました。また、競技性のあるものも必要だと考え、老若男女だれでも楽しめるゴルフを国技ならぬ〝局技〟に定め、新人医師には「ゴルフをするまでは手術をさせない」と半分冗談、半分本気で始めさせることにしました。また、人事評価に業績、実績だけでなく部下の評価を加えました。人手不足の医局には傭■■兵(外部人材)を採用する方法がありますが、それはしませんでした。傭兵が次々と上司になったら若ゴルフを〝局技〟にし、密な関係を築く築かれた強固な絆は組織、社会の力になる加わり、チェアマンとして組織改革に着手しました。―どのような発想で組織改革に臨んだのでしょうか。私自身の給与はアメリカ時代の1億円から880万円に減りました。アメリカの教授には人事権も予算権もあるのでインセンティブで優秀なスタッフを集めることができ、すぐに成果を出すことができました。しかし、日本の教授には給与を決める権限はありません。外科医の給料も抑えられ、どれだけ働いても他の診療科医師と給料が一緒という状況下で若手の意識を変えることは大きなチャレンジでした。では、人は何にトキメキを見出すのでしょうか。その時に思い出したのが学生時代の部活です。何の報酬も得られないのにあれだけ打ち込めたのは、良い仲間たちと切磋琢磨し合い、悲しみや喜びを分かち合うことができたからです。そこで、外科医局にもこの部活のつながりを持ち込めばよいと考えました。忠誠を誓う組織があって、困った時は組織が助けてくれる。かつての日本にあった共同体としての温かさであり、ぼくはそれを「トキメキと安らぎのある村社会」と名付けました。■■い人たちはばからしくなってしまいますし、忠誠心を育めません。そして、異動の際には臨床重視の人は市中病院に、アカデミックに研究したい人は大学病院で、そして個人的な理由でお金が必要な人には給料のいい病院をというように適材適所で配置しました。その結果、チェアマンになって15年で200人以上の若手が入局してくれました。今の若い人もウェットでおせっかいな村社会を意外と求めているのだと思います。―15年で200人以上とはすごい数ですね。数もそうですが、強い共同体に育っています。東日本大震災の時に被災地から医師の派遣を求められた時には他の医局では上司が命じて行かせていたのですが、うちの医局では志願者が100人を超えました。今般のコロナ禍において楽天の三木谷浩史会長がヴィッセル神戸の本拠地であるスタジアムを大規模接種会場にして地元の医師を求めたところ集まらず、私のもとに依頼が来ました。その際、7カ月間で延べ600人が手を挙げて現地に行ってくれまし           た。「ノットマイジョブ(それは私の仕事ではない)」が口ぐせの医師が多い米国の大学病院では考えられないことです。若い人を惹きつけるには、ロールモデルも必要です。だから我々先輩医師は常に学生の目を意識し、決して外科医の仕事について愚痴を言わないようにしています。また、患者、家族が喜んでくれている姿を見せるために慈恵の学生には全員、私の外来を見学させています。一方、月1回だれでも参加できるチェアマン夕食会を開いており、毎回30〜ています。20回を迎えたゴルフの大木杯は人との関係が希薄になりつつある日本にあっては毎回驚くような数の外科医が一堂に会します。―そのような組織作りには大変な時間とエネルギーが必要ですね。利己主義の短距離型組織はすぐに成果は出ますが長持ちしません。それに対し私が目指す共同体社会はマラソン型です。成果が出るには時間を要しますが、いったん築かれた強固な絆は組織の力になり続けます。日本は小泉内閣以来、新自由主義が台頭し共同体は崩れつつあります。しかし果たしてその結果、賃金は、GDPは上がったでしょうか。殺伐とした格差社会よりも弱者を出さず皆が連帯して組織に忠誠を誓う共同体社会を復活させてほしいと思っています。それが日本の強さを取り戻すことにもなります。◀「健康相談室(P20〜21)」に 大木先生のプロフィール、医療記事を掲載しています。こちらも是非ご覧ください。1540人ほどが来て若手とも気軽に話をし

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