Plus One No.626
14/36

―米国でスーパードクターの地位を捨て、帰国したのはなぜだったのでしょうか。小さい頃から患者の命を自らの手で救う外科医に憧れ、その道に進みました。血管外科を選び、その先進国である米国に渡って最高の技術を身につけ、収入も地位も名声も得ました。でも、学校等で多くの医者を前に講演している時に、日本人が1人でも交じっていると力が入ります。また、日本人の患―10年以上離れていた母校に戻ってどのような印象を持ちましたか。驚いたのは外科医局に人が少ない上に、かつてのような活気がなく閑散としていたことです。当時は全国的に外科医離れが進んでいました。労力と時間を費やしてでも人の命を救いたいという思いよりも、同じ給料なら早く帰ることができてプライベートも充実できる外科系以外の医師になった方がコスパがいいという合理的、しかし利己的価値観が日本を蝕■■みつつあったのです。外科医局を立て直すミッションも「衣食が足りたらトキメキを求めよう」共同体社会を復活し、外科医局再生に取り組む者がわざわざ米国まで私の手術を受けに来てくれることもうれしかった。だから、より身近な隣人の役に立ちたいという思いが強くなり、帰国しました。―憧れた外科医で築いた地位を捨てるのは簡単なことではないと思いますが。ベースにあるのは「衣食が足りた■   らトキメキを求めよ」という思いです。お金は衣食を満たすために稼ぐわけですが、足りた先の余ったお金はトキメキを買うツールになります。絵画や高級車などがそうでしょう。でも、お金で買えるトキメキはどれも飽きてしまいます。一方でお金では買えないトキメキには飽きのこない崇高なものがたくさんあります。 その最たるものが同胞、あるいは身近な人に喜ばれることではないでしょうか。アメリカで喜ばれ、称賛され、収入を得ても無人島でノーベル賞をもらうようなむなしさがあり、それよりも仲間に祝福される社長賞が欲しいと思ったのです。14東京慈恵会医科大学 外科学講座統括責任者新春インタビュー血管外科の世界的第一人者としてこれまで数多くの患者の命を救ってきた大木氏が、富と名声を築いた米国での地位を捨て、「日本人の患者と母校の力になりたい」と東京慈恵会医科大学に戻ってきたのは2006年のこと。以来、スーパードクターとして第一線で手術を続けるかたわら、「トキメキと安らぎのある村社会」を掲げ、全国的に若手の外科離れが進むなか外科医局の再生にも腕を振るってきた。現在では、外科医300名を擁する世界最大級の医局となっており、それは「慈恵医大の奇跡」と呼ばれている。 企業・組織のあり方日本に共同体を今こそ取り戻そう大木 隆生

元のページ  ../index.html#14

このブックを見る