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木村木村木村メイドインジャパンのベビー服を世界に広めたい木村社長は事業面においても卓越した先見の明を持っておられました。特に創業時から、価値あるものを適正価格でという戦略を取ってこられました。証券会社で勤務していた時、多くの企業の事業戦略に触れる機会があったのですが、ほとんどの企業が「いいものを安く」という考えで事業をしていました。ところが、旅行でスイスに行くと、一見日本製と変わらない時計が、日本のものとは比べ物にならないくらい高い値段で売られているのを見て付加価値の大切さに気付きました。なにより、良いものを価値に見合った価格で売らなければ従業員の給料を上げることもできず、経済も回っていきません。高いベビー服を誰が買うかと疑問に思うかもしれませんが、大切なわが子のために品質にこだわった良い商品、サービスを求められる方は多くいらっしゃいますし、ギフトの需要も大きいです。お世話になったあの方のお子さんに贈れば喜んでもらえるという気持ちがあります。贈られた側もこんなに良いものを選んでくださったのだと喜んでくれます。当初はどのように販売していったのでしょうか。展示会に誘ってくれたので出展しました。知り合いは、わたしの売っている商品を自分のお客さんに見せて、いかに自分の商品が安いかをアピールしていました。さみしい気持ちもありましたが、わたしは価値にプライドを持っていましたから自分のやり方を通しました。ミキハウスの商品の価格は当時最も人気のあったベビー服ブランドの商品の2倍でした。だからこそ逆にバイヤーの目に留まるのです。しっかりした縫製で作っている価値を理解してくれるバイヤーもおり、注文をしてくれました。海外でも同様です。35年前からパリ知り合いの洋服メーカーが合同の展示会に出していたのですが、世界中の子供服メーカーの中でアジアからの出展企業は1社だけで、興味を持ってもらうことができました。高品質のメイドインジャパンのベビー服を世界に広めたいという一心でした。1979年にはアメリカの高級百貨店『サックス・フィフス・アベニュー』で初めての海外展開に挑戦したのですが、その時には、日本で売っている価格のさらに4、5倍の値段がつけられました。それだけうちの商品には価値があるのだと大きな自信になりました。今では、ロンドンのハロッズをはじめ、各地域の高級百貨店や高級モールにも出店。今年度中には海外で100店舗を超える予定です。メイドインジャパンにこだわっておられるとのことですが、日本製の比率はどのくらいなのでしょうか。ベビーアイテムに関しては、ほとんどが日本製です。日本の繊維産業のものづくりは若い人への技術の継承ができておらず、どんどん工場が減ってしまっています。一方で、うちの協力工場は隆々としています。高くとも適正な値段で売っているから、きちんと工賃を払うことができ、雇用も、新しい設備投資もできるのです。いいものを 橘     橘 橘   61945年、滋賀県生まれ。関西大学経済学部を中退し、野村証券入社。実父が経営する婦人服メーカーを経て、71年、26歳の時に子供服の製造・卸会社、三起産業を個人創業。78年、三起商行株式会社を設立。世界に通用する高級ベビー・子供服ブランドを作り上げ、国内外200店舗以上を擁する。スポーツ支援にも積極的に取り組んでいる。木村 皓一 (きむら こういち)ミキハウス 社長

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