Plusone No.623
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今なおかつての日本人の  暮らしが息づく俊さん(68)。とはいえ手をこまねいているわけではない。近年は、漁師の妻たちで構成する「湖島婦人会」が獲れたニゴロブナを「漁師の鮒ずし」、外来魚のブラックバスを「沖島よそものコロッケ」として加工販売するなど次なる収益の道を模索し、広げている。また、滋賀県、滋賀県漁連が主体となって進める「後継者育成事業」に参画し、現在18歳と28歳の2人が研修中だ。漁業のICT化も進みつつある。「まずはアユの刺し網漁で使う漁網にセンサーを付け、いつ、どこで、どれほど獲れたのかをデータ化することで、翌年以降の漁に生かすことができる。経験と勘に頼ってきた漁を改善し、若い人が入りやすいよう漁業の魅力を高めていきたい」と話す。島で暮らす全ての人の顔と名前が一致  し、かかわり合いながら助け合う地域性、そして海に囲まれた沖島の魅力に誘われ、最近は若い移住者も増えつつある沖島。「我々の父親の世代までは60にもなれば漁師を引退し、あとは悠々自適に暮らしていたんやけどね」と言いながらも、引退したいですかと問うと「いや、続けたい」と二人は口をそろえる。「毎日が自然との知恵比べ。こうすれば獲れるんじゃないかと考えながら漁に出て、それがうまくいけば達成感がある。死ぬまで勉強ですよ」と北村さん。「うまくいけば酒がおいしいし、いかないときのやけ酒もまた楽しい」と西居さんがそこに合の手を入れる。日々自然と向き合い一喜一憂しながら生きる。沖島にはかつての日本人の生き方・暮らしが今も息づいている。観光客に鮒ずしなどを販売する屋台刺し網は細かい手作業で補修する25中学校を卒業して以来、沖島での漁師歴は60年を超える。77歳になった今も「元気でいられるうちは漁師を続けていきたい」と穏やかな笑みを湛えて語る。西居英治さん

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